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医療法人M&Aの正常収益力調整完全ガイド|院長報酬・MS法人・不動産賃料・一過性費用

2026 8/13
コラム
2026年8月13日
医療法人M&Aの収益力調整を検討する経営者と専門家

医療法人M&Aの正常収益力を整理するとき、決算書の「当期純利益」だけを見て譲渡価格を予想すると、買い手候補との認識が大きくずれることがあります。医療法人には、理事長や院長が自ら診療して生み出す収益、役員報酬、親族が所有するMS法人との取引、個人所有の土地・建物に対する賃料、医療機器の更新、退職金、補助金など、一般的な事業会社とは異なる要素が重なっているからです。そこでM&Aの初期検討から重要になるのが、過去の会計数値を、譲渡後も無理なく続けられる収益と費用に組み替えて考える「正常収益力」の整理です。

収益力調整:収益力調整は、決算書の利益を機械的に増やす作業ではありません。承継後にも再現できる利益と、現経営者に固有の収支を証拠とともに切り分ける検証です。

目次

目次

  1. 収益力調整で最初に確認する重要ポイント
  2. 医療法人M&Aの正常収益力とは
  3. 医療法人で正常収益力の整理が特に難しい理由
  4. 最初に作るべき「調整前の基準値」
  5. 正常化の全体マップ
  6. 院長報酬の正常化:全額足し戻しが危険な理由
  7. MS法人との取引をどう正常化するか
  8. 個人・親族・MS法人所有不動産の賃料調整
  9. 一過性費用・一過性収益の見極め方
  10. 四大項目以外に見落としやすい調整
  11. 売上側の正常化も費用側と同じ精度で行う
  12. 正常収益力を作る実務手順
  13. 数値例で見る正常収益力の組み立て
  14. 正常収益力と企業価値・譲渡条件の関係
  15. 買い手デューデリジェンスで問われること
  16. 売り手が避けるべき十の失敗
  17. 売却検討12か月前からの準備スケジュール
  18. 正常化表の推奨フォーマット
  19. 医療法人M&Aの正常収益力に関するFAQ
  20. 売り手向け最終チェックリスト
  21. 調整の確度を高めるデータルーム設計
  22. 診療形態によって変わる正常化の重点
  23. 専門家ごとの役割を明確にする
  24. 公的資料から確認できる実務の土台
  25. まとめ:正常収益力は「数字の主張」ではなく「承継の設計図」
  26. 医療法人の売却準備を、数字の棚卸しから始めませんか
収益力調整について検討する医療・介護事業の経営者と専門家
記事内容を表したオリジナル生成イメージ。実在案件の当事者を撮影したものではありません。画像内の人物・施設はイメージです。

収益力調整で最初に確認する重要ポイント

収益力調整では、各調整項目の根拠、確認資料、対象期間、確認責任者を明確にします。個別案件では、法務・税務・労務・医療行政の専門家と所管行政庁の確認を前提にしてください。

正常収益力の調整は、利益を大きく見せるための作業ではありません。過去の決算書と将来の事業運営をつなぐ説明書を作る作業です。売り手に有利な加算調整だけでなく、将来必要となる院長人件費、採用費、賃料、保守費、設備更新費などの減算調整も同じ基準で扱い、再現可能性を資料で示します。その姿勢が、買い手の不信を減らし、デューデリジェンスを円滑にし、価格以外の承継条件も含めた合意をつくる土台になります。

本稿では、医療法人M&Aの売り手が特に迷いやすい院長報酬、MS法人、個人・親族所有不動産の賃料、一過性費用を中心に、正常収益力の考え方、数値例、必要資料、買い手からの質問への備えを詳しく解説します。記載する計算例は理解を助けるための仮定であり、個別案件の価値や税額を示すものではありません。医療法、税法、会計、労務、許認可、個人情報の取扱いは法人や取引形態により異なるため、実行時には弁護士、公認会計士、税理士、社会保険労務士、行政書士などの専門家と確認してください。

医療法人M&Aの正常収益力とは

決算書の利益と、承継後に期待できる利益は同じではない

決算書は、定めた会計方針に従って一定期間の取引を記録した重要な基礎資料です。しかし、ある年度の利益には、その年だけ発生した出来事、理事長個人の意思で決まった取引条件、会計上の分類、資金調達方法、過年度に取得した設備の償却状況などが反映されています。買い手が知りたいのは、決算書が正しいかだけではありません。「現在の診療体制、患者基盤、職員体制、施設、契約を引き継いだ場合、通常の運営でどの程度の収益を継続して得られるか」です。

たとえば、理事長兼院長の役員報酬が年間4,000万円で、譲渡後に雇用する勤務院長の総人件費が年間2,800万円と合理的に見込まれるなら、差額1,200万円は正常収益力の検討項目になります。ただし、現在の院長が高い専門性や紹介ネットワークを持ち、承継後に同等の売上を維持するには2人の医師が必要なら、単純な1,200万円の加算はできません。勤務院長の給与だけでなく、追加医師、採用紹介料、社会保険料、当直、引き継ぎ期間の重複人件費まで考える必要があります。

逆に、理事長兼院長の役員報酬が年間1,200万円に抑えられていても、承継後に同等の院長を市場から採用する総人件費が年間2,500万円必要なら、正常収益力は1,300万円以上減少する可能性があります。売り手にとって不利に見える調整も先に可視化しておくことで、「買い手が後から大幅に値下げしてきた」という対立を避けやすくなります。

正常収益力、調整後EBITDA、フリーキャッシュフローは区別する

M&A実務では、正常収益力を示す指標として、営業利益、経常利益、EBITDA、調整後EBITDAなどが使われます。EBITDAは一般に、利払前・税引前・減価償却前利益を指しますが、算式や採用する科目は案件ごとに確認が必要です。調整後EBITDAは、そこから役員報酬、関連当事者取引、一過性損益などを調整したものです。名称が同じでも、何を加減したかによって意味が変わるため、最終値だけではなく「決算書上の利益から調整後数値までの橋渡し表」を示すことが重要です。

また、調整後EBITDAは現金そのものではありません。医療機器や内装の更新投資、運転資金の増減、借入金の返済、税金、リース支払いなどを差し引かなければ、自由に使えるキャッシュフローは分かりません。画像診断装置、内視鏡、歯科ユニット、電子カルテ、空調などの定期更新が必要な施設では、減価償却費をすべて足し戻したEBITDAだけを強調すると、実態より楽観的になります。

正常収益力は、企業価値評価の唯一の答えでもありません。中小企業庁の「中小M&Aガイドライン」は、譲渡額の算定方法として簿価純資産法、時価純資産法、類似会社比較法、DCF法など複数の考え方を示し、算定結果は一義的に定まらないことを説明しています。医療法人では、法人類型、出資持分の有無、社員・役員構成、土地建物の所有、借入金、医療機器、許認可・届出、取引手法によっても経済条件が変わります。正常収益力は、これらを踏まえて交渉するための重要な材料の一つと位置づけましょう。

「正常化」と「相乗効果」を混同しない

正常化調整は、対象法人が単独で、承継後も現実的に維持できる状態を見積もることが基本です。買い手グループの共同購買で材料費が下がる、採用媒体を共通化して採用費が下がる、本部機能を統合して事務費が下がるといった効果は、買い手固有の相乗効果です。実現可能性が高くても、すべてを売り手の正常収益力に含めるとは限りません。

売り手としては、対象法人だけで実行できる改善、すでに実施済みで効果が確認できる改善、契約済みだが効果が決算書に十分反映されていない改善、買い手固有の相乗効果を分けて示すとよいでしょう。「将来は材料費が10%下がるはず」と主張するより、「主要材料の契約を3か月前に更新し、直近3か月の単価が前年同期比で4%下がった。年間換算影響はこの範囲」と示す方が信頼されます。

医療法人で正常収益力の整理が特に難しい理由

院長の診療行為と経営者の仕事が一つの報酬に含まれる

オーナー院長は、診療、手術・処置、患者説明、紹介元との関係構築、職員採用、労務管理、購買、資金調達、行政対応、理事会運営など複数の役割を担います。役員報酬という一つの勘定科目の中に、「医師としての労働対価」と「経営者としての役割への対価」が混在します。承継後に同じ人が残るのか、勤務医として診療だけを続けるのか、短期間で退任するのかによって、必要な代替コストは変わります。

したがって、院長報酬の調整は、同年代の医師の平均給与と比較するだけでは不十分です。診療科、地域、勤務日数、外来数、手術件数、当直・オンコール、専門資格、管理医師の責任、採用難易度、福利厚生、法人負担社会保険料、退職給付などを含む総コストで比較します。厚生労働省の医療経済実態調査は有用な公的参照情報ですが、集計値は個別法人の適正額を直接証明するものではありません。

診療報酬、患者構成、医師の稼働が収益に直結する

保険診療を中心とする医療機関の収益は、患者数だけでなく、診療科、算定項目、施設基準、病床機能、患者構成、診療日数、医師配置、診療報酬改定などの影響を受けます。同じ年間医業収益でも、院長一人の診療に集中している法人と、複数医師で分散されている法人では、承継後の再現性が異なります。

たとえば、直近年度に院長が長期休診し売上が減った場合、休診が一過性なら売上を正常化できる可能性があります。しかし、院長の復帰後実績、代診医の確保、患者離反の有無を確認せず、前年売上を機械的に足し戻すことはできません。反対に、直近年度に診療日を臨時増加して一時的な高稼働だったなら、持続可能な勤務体制に戻した売上を考える必要があります。

法人、MS法人、理事長個人の間で機能と資産が分かれている

医療法人が診療を行い、MS法人が不動産、医療機器、事務業務、物品調達などを担い、土地・建物は理事長や親族が所有する、といった構造は珍しくありません。決算書を医療法人単体だけで見ると、事業を動かすために必要な機能や費用がどこにあるか見えにくくなります。M&A後にMS法人との契約を継続するのか、対象範囲に含めるのか、第三者契約へ切り替えるのか、資産を買い取るのかで正常収益力は変わります。

厚生労働省の医療法人会計基準に関する運用指針は、一定の関係事業者との取引について、関係、取引内容、取引金額、取引条件と決定方針、債権債務残高などの注記を求めています。また「医療法人の計算に関する事項について」でも、関係事業者との取引に関する報告内容が示されています。すべての医療法人・すべての取引に同じ開示要件がかかるわけではありませんが、M&Aの正常化では、法定開示の要否にかかわらず、関連当事者取引の全体像を整理することが実務上重要です。

会計上の利益と必要投資のタイミングがずれる

大型医療機器や内装は、取得時に一括費用ではなく、原則として使用期間にわたり減価償却されます。古い設備の償却が終わると利益は増えますが、近い将来の更新負担が大きいことがあります。反対に、直近年度に大規模更新を行って減価償却費が増えていても、数年間は更新投資が少なくて済むかもしれません。正常収益力は損益だけでなく、設備台帳、保守契約、故障履歴、更新計画、リース契約を合わせて評価する必要があります。

最初に作るべき「調整前の基準値」

原則として3〜5年分と直近月次を並べる

正常化を始める前に、まず調整前の数値を固めます。少なくとも直近3期、可能なら5期分の決算書、勘定科目内訳明細、総勘定元帳、試算表を並べ、直近年度から現在までの月次試算表も用意します。コロナ禍、移転、改装、診療報酬改定、院長休診、新規設備導入など大きな変化を含む場合は、それ以前・以後を比較できる期間が必要です。

年次だけでは季節性が隠れます。インフルエンザ、花粉症、健診、予防接種、学校・企業健診、年末年始休診などにより月次売上高が変動するため、月別に患者数、診療日数、レセプト件数、一日当たり外来数、患者単価、自由診療比率、医師別稼働を並べます。病院なら病床稼働率、在院日数、病棟別・機能別の収益、手術件数、救急受入れなども検討対象です。

会計方針と科目分類をそろえる

同じ支出でも、年度によって修繕費、消耗品費、医療材料費、外注費、固定資産の取得に分類が変わると、推移を誤認します。補助金が事業収益、事業外収益、特別利益のどこに入っているか、リースが賃貸借処理か資産計上か、未払賞与や退職給付がどのように計上されているかも確認します。

厚生労働省の医療法人会計基準運用指針は、重要な会計方針、減価償却、リース、引当金、事業損益の区分、補助金等の会計処理などを定めています。ただし適用対象や法人が採用する会計基準は確認が必要です。M&A用の分析表では、過年度決算を勝手に修正するのではなく、元の会計数値を保持したまま、比較のための組替え列と調整列を別に設けます。

施設別・事業別に採算を分ける

複数の診療所、病院、介護事業、健診、訪問診療、自由診療などを運営している場合、法人全体の利益だけでは実態が分かりません。施設別・事業別の売上と直接費を把握し、本部費や共通費の配賦基準を明らかにします。MS法人が複数施設へサービスを提供している場合も、対象施設に対応する費用を識別します。

配賦基準は、床面積、売上、職員数、利用件数、作業時間など、費用の発生原因に沿って選びます。売上が高い施設にすべて配賦する、赤字施設に配賦しないといった恣意的な方法は避けます。配賦前と配賦後の両方を示し、買い手が自社の基準で再計算できる状態にすると議論が早くなります。

正常収益力調整の全体マップ

調整領域 代表例 確認する証拠 主な注意点
院長・役員報酬 オーナー院長報酬と承継後の代替人件費の差 勤務表、診療実績、役員報酬決議、給与台帳、採用条件 報酬の全額を足し戻さず、診療・管理機能の代替コストを控除する
MS法人 管理料、機器賃借料、購買手数料、業務委託料 契約書、請求書、原価、業務記録、価格決定資料、債権債務 関連先だからという理由だけで全額を除外しない
不動産賃料 理事長個人・親族・MS法人所有物件への賃料 賃貸借契約、登記、固定資産資料、近隣事例、鑑定・査定、修繕負担 承継後の所有・賃貸スキームと必要投資を同時に決める
一過性費用 移転費、災害復旧、単発訴訟費用、M&A準備費 契約、請求書、発生日、取締役会・理事会資料、再発可能性 毎年発生する「単発費用」を足し戻さない
一過性収益 補助金、固定資産売却益、保険金、臨時受託収入 交付決定、入金、補助対象費用、売却資料 費用との対応を確認し、収益だけを減算しない
オーナー関連経費 私的利用車両、家族給与、保険、会費、旅行 利用記録、業務内容、契約、給与台帳、領収書 業務関連部分、代替人員、税務上の処理を確認する
将来必要費用 院長採用、老朽設備更新、賃上げ、サイバー対策 採用相場、設備台帳、見積り、保守期限、法令・制度対応計画 過去に未計上でも承継後に必要なら減算する
異常な稼働 院長休診、臨時診療、診療日数増減、病床閉鎖 診療カレンダー、患者数、医師シフト、月次レセプト 売上と対応費用をセットで調整する

調整項目は、原則として「会計数値」「実際に起きた事実」「承継後の運営仮定」「金額算定」「証拠」「リスク」の六つを一組にします。たとえば「院長報酬が高いので1,000万円加算」では足りません。「当期役員報酬3,600万円、週5日診療・管理業務。承継後は週4日勤務院長と週1日非常勤医を配置する仮定。給与・賞与・法人負担社会保険・紹介料の年換算合計2,800万円。差額800万円を加算候補。引き継ぎ初年度は重複人件費400万円を別途考慮」と書けば、買い手が検証できます。

院長報酬の正常化:全額足し戻しが危険な理由

最初に院長の役割を分解する

院長報酬を検討するときは、肩書ではなく仕事を分解します。典型的には、診療、検査・手術、当直・オンコール、管理医師としての法的・実務的責任、診療品質管理、職員採用・評価、取引先交渉、地域連携、学会・研究、法人経営、資金調達などです。各業務について、週当たり時間、売上との関係、代替可能者、承継後に必要かを整理します。

診療実績は、院長別の患者数、診療点数、手術・処置件数、自由診療売上、紹介患者数などで見ます。ただし、診療収益を院長個人だけに帰属させすぎないことも大切です。看護師、技師、受付、設備、立地、ブランド、紹介元との組織的関係があって初めて収益が生まれます。個人の貢献と組織基盤を切り分けることで、承継後に何を残すべきかが明確になります。

比較するのは手取りではなく「法人の総負担」

役員報酬と勤務医給与を比較するときは、額面年収だけでなく、賞与、法人負担社会保険料、退職給付、通勤費、住宅、学会費、医賠責保険、採用紹介料、引越し費用、当直手当、福利厚生などを含む総コストで比べます。採用紹介料が年収の一定割合で発生し、定着までに複数回採用が必要になる可能性があるなら、そのリスクも感応度として示します。

公的統計は、仮定の妥当性を検討する出発点になります。厚生労働省が公表する第25回医療経済実態調査の概要には、一般診療所(医療法人)の院長、医師、看護職員などの給与の平均値と中央値が掲載されています。しかし、診療科、地域、勤務日数、職務、規模の違いがあるため、平均値をそのまま「適正報酬」としないでください。実際の採用票、過去の採用実績、人材紹介会社から得た条件、近隣の公的求人情報などを重ねて検証します。

税務上の役員給与とM&A上の正常化は別の論点

国税庁は、役員給与について定期同額給与、事前確定届出給与、業績連動給与の要件や、不相当に高額な部分の損金不算入を説明しています。M&Aの調整表で「承継後の正常な院長コスト」を置くことは、過去の役員給与の税務処理を変更することではありません。過去の報酬が税務上損金であるか、将来の報酬改定がどの時期・手続で可能かは、税理士と別途確認します。

特に、譲渡交渉の途中で役員報酬を急に増減させると、税務、法人内部の決議、月次比較、買い手の見方に影響します。正常化のために実際の給与支払いを変える必要はありません。まずは分析表上で調整し、実際に変更する場合は、定款・役員報酬決議・法人税法上の時期と要件を確認します。

院長報酬の三つの典型例

例1:高額報酬だが、承継後も院長が一定期間残る

理事長兼院長の役員報酬が年間4,200万円、法人負担の福利厚生等が200万円とします。譲渡後2年間は週4日の勤務医として残り、年俸2,400万円、関連負担300万円で合意する想定なら、平常年度の差額は1,700万円です。ただし、退任後に後任院長を採用する費用が2,900万円と見込まれるなら、2年間だけ1,700万円を足し戻し、3年目以降は1,500万円にする、といった期間別分析が必要です。

さらに、旧院長の患者引き継ぎに後任医師が半年間重なるなら、初年度は重複人件費が発生します。正常収益力を一つの永久的数値にせず、「移行年度」「安定年度」「旧院長退任後」に分けると、雇用契約、譲渡対価、退職金、引き継ぎ義務の議論を結び付けられます。

例2:低額報酬で利益が高く見えている

理事長兼院長の役員報酬が年間1,200万円で、週5.5日診療し、年間医業収益の大半を担っているとします。承継後の勤務院長の総コストが2,700万円、非常勤医補完が400万円なら、少なくとも1,900万円の減算候補です。さらに採用紹介料や定着リスクを考えると、初年度は追加費用が生じます。

この調整は売り手に不利に見えますが、買い手が最初に気付く項目です。売り手が先に示し、院長が1〜2年残る案、診療日数を段階的に減らす案、報酬と譲渡対価を分ける案などを提示できれば、単純な値下げではなく承継設計の交渉に変えられます。

例3:家族役員の報酬が含まれる

親族役員に年間600万円を支払い、その人が経理・採用・購買を実際に担当している場合、全額を不要費用とはみなせません。承継後に本部が引き取るなら買い手固有の相乗効果かもしれませんし、対象法人内で代替人員が必要なら、その給与を控除します。業務内容、勤務時間、成果物、決裁権限を整理し、「現行600万円、代替事務長総コスト500万円、差額100万円」のように示します。

一方、実態のない報酬がある場合は、税務・法務上の問題がないか専門家に確認し、M&A資料では事実を隠さず説明します。単に「親族給与だから足し戻す」というラベルではなく、業務実態と承継後の必要性を示すことが大切です。

院長報酬調整の証拠パッケージ

  • 直近3〜5期の役員報酬総額と理事別内訳、給与台帳、法人負担費用
  • 社員総会・理事会等の決議、定款・役員報酬規程、雇用契約
  • 院長の週間勤務表、休診日、当直・オンコール、診療外業務の一覧
  • 医師別の患者数、診療点数、手術・検査件数、自由診療売上
  • 過去の医師採用条件、求人票、紹介料、採用期間、退職実績
  • 承継後の組織図、必要医師数、勤務日数、引き継ぎ期間
  • 公的統計と地域・診療科の採用情報を用いた代替コストの根拠
  • 院長退任に伴い失われる可能性のある紹介関係・特別な診療機能の整理

証拠は個人情報を含むため、データルームへの掲載範囲と閲覧権限を段階化します。初期段階では集計値や匿名化資料を使い、相手の確度が高まってから必要最小限の詳細を開示します。個人情報保護委員会の通則ガイドラインは、事業承継の交渉段階で個人データを提供する場合について、安全管理措置を守らせるための契約が必要である旨を示しています。医療情報は要配慮個人情報を含むため、患者単位のデータを安易に共有せず、弁護士や個人情報管理責任者と手順を決めてください。

MS法人との取引をどう正常化するか

MS法人があること自体を問題視しない

MS法人は一般に、医療法人の周辺業務を担う株式会社等を指す実務用語です。物品販売、設備や不動産の賃貸、清掃、給食、事務、採用、システム、広報などの機能を持つことがあります。MS法人との取引があるからといって、その費用をすべて足し戻せるわけでも、すべて不適切なわけでもありません。承継後も必要なサービスであれば、誰かがそのコストを負担します。

正常化の目的は、MS法人を消すことではなく、医療法人が事業を続けるために必要な機能と合理的な対価を把握することです。現在の支払額、MS法人側の原価、第三者へ委託した場合の価格、医療法人内製時の人件費・設備費を比較します。支払額が市場相当額を上回るなら差額を加算候補とし、下回るなら不足額を減算候補とします。

まず取引を機能別に棚卸しする

機能 主な契約・科目 正常化で確かめること
不動産 土地・建物賃貸借、共益費、駐車場 所有者、対象範囲、賃料、修繕・税・保険負担、契約期間、承継後条件
設備 医療機器・什器リース、保守 取得原価、残存価値、保守、更新時期、再リース、第三者価格
購買 医薬品・材料・消耗品販売、購買手数料 仕入原価、マージン、在庫、返品、ボリュームディスカウント
人・事務 請求、総務、経理、採用、受付等の委託 担当人数、時間、業務成果、指揮命令、内製・外注の代替コスト
IT・広報 システム利用、ウェブ運用、広告、ブランド アカウント・権利、保守範囲、個人情報、承継後の継続可否
資金 貸付・借入、立替、債務保証 残高、利率、返済条件、資金使途、譲渡時精算、保証解除

契約書があっても、実際の運用と一致しているか確認します。契約上は「経営管理支援一式」で月額300万円でも、実態が経理担当者1名とシステム利用だけなら、内訳が必要です。反対に、契約書に書かれていない緊急対応や採用支援をMS法人が無償で行っているなら、承継後には追加費用が生じる可能性があります。

厚生労働省が示す関係事業者取引の視点を使う

医療法人会計基準の運用指針は、一定の関係事業者について、取引内容、取引種類別金額、取引条件とその決定方針、期末債権債務残高、条件変更の影響などを注記事項として示しています。関係事業者には、医療法人の役員や近親者が代表者である法人などが含まれ得ます。法定注記の対象額や法人規模の要件は個別に確認が必要ですが、この項目はM&Aの整理にも有用です。

売り手は、MS法人ごとに「誰が所有・支配しているか」「医療法人との関係」「何を提供しているか」「年間取引額」「価格をどう決めたか」「未収・未払・貸付・借入」「契約終了時の扱い」を一枚にまとめます。過去3期の推移と契約変更履歴を添えれば、買い手は金額の継続性を判断しやすくなります。

管理料の正常化例

医療法人がMS法人へ管理料として年間3,000万円を支払い、MS法人は経理・総務2名、採用担当1名、会計システム、給与計算、広告運用を提供しているとします。MS法人側の対象業務原価が人件費1,500万円、システム・広告等700万円、共通費300万円の合計2,500万円で、第三者見積りが2,400万〜2,800万円なら、3,000万円全額を足し戻す合理性は乏しいでしょう。

承継後に買い手本部が同機能を提供できても、それは買い手固有の相乗効果です。対象法人単独の正常収益力として2,600万円を置くなら、現行支払額との差400万円が加算候補です。MS法人契約を終了するための解約金、データ移行費、採用し直す人員のコストがある場合は、移行年度の別項目として扱います。

医療機器リースの正常化例

MS法人が医療機器を所有し、医療法人が年間1,200万円の賃料を払っているとします。機器の取得価額、取得時期、保守費、残存耐用期間、第三者リース条件を確認し、承継後もその機器が必要かを判断します。市場相当の年間コストが900万円なら差額300万円は加算候補ですが、2年後に更新して年間1,400万円相当になるなら、安定年度の正常費用は1,400万円に近づきます。

現行賃料の高低だけでなく、更新投資を誰が負担するかが本質です。MS法人を対象外にして医療法人だけを承継する場合、機器を継続賃借する契約、買い取る価格、代替機器を導入する費用を基本合意前に整理します。機器に設定された担保、リース会社の承諾、保守契約の名義変更も確認します。

MS法人の株式・事業を対象範囲に含めるか

MS法人が事業に不可欠な資産・職員・契約を持つ場合、医療法人だけの承継では継続性に不安が残ります。選択肢は、MS法人の株式も対象にする、必要資産・契約だけ移す、長期契約を結ぶ、第三者へ切り替える、買い手が内製するなどです。どの案を選ぶかで譲渡対価、税務、許認可、従業員、個人情報、保証、資金決済が変わります。

正常収益力表では、少なくとも「現行スキーム」「MS法人も承継するスキーム」「医療法人単独で第三者代替するスキーム」の三つを比較するとよいでしょう。各案について平常年度コスト、初期移行費、必要運転資金、実行条件を記載します。売り手が希望する案だけを示すより、代替案の経済性を見せる方が交渉の選択肢が広がります。

MS法人調整の証拠パッケージ

  • 資本関係・役員関係・親族関係が分かる関係者図
  • すべての契約書、覚書、料金改定履歴、解約条項
  • 過去3〜5期の取引額、総勘定元帳、請求書、支払記録
  • MS法人側の対象業務原価と配賦根拠、担当者・作業時間
  • 第三者見積り、同種契約、過去の入札・相見積り
  • 貸付金・借入金・未収金・未払金・保証・担保の一覧
  • 設備台帳、取得価額、保守契約、更新計画、所有権
  • 承継後の継続、移管、終了に必要な手続と移行費用

個人・親族・MS法人所有不動産の賃料調整

「賃料をゼロにする」のではなく、承継後の利用条件を決める

医療機関の土地・建物を理事長個人、親族、MS法人が所有し、医療法人が賃借している場合、賃料は正常収益力に大きく影響します。売り手が所有する不動産だからといって、賃料全額を足し戻すことはできません。承継後も同じ場所で診療するなら、買い手は賃料を払うか、不動産を取得して固定資産税・保険・修繕・資金調達コストを負担します。

まず、医療法人の承継と不動産の扱いを一体で設計します。主な選択肢は、不動産も同時に売却する、売り手が所有を続けて長期賃貸する、一定期間賃貸後に売買する、第三者物件へ移転する、MS法人ごと承継する、の五つです。選択肢ごとに、平常年度費用、初期資金、税務、担保解除、許認可・開設関係手続、患者アクセス、移転休業、原状回復を比較します。

賃貸借条件を一枚にまとめる

賃料だけでなく、契約期間、更新、解約、保証金、敷金、共益費、駐車場、看板、設備、修繕区分、固定資産税、保険、用途制限、転貸、原状回復、建替え、災害時の扱いを確認します。医療機関は内装・配管・電源・放射線防護・医療ガスなど特殊設備を備える場合があり、一般オフィスより移転費用と停止リスクが高くなります。

土地と建物の所有者が異なる、建物の一部だけを使っている、駐車場が別契約、増改築部分が未登記、医療法人が所有者の資産に多額の改良をしている、といったケースでは権利関係を図にします。登記事項、固定資産台帳、建築確認関係資料、賃貸借契約、修繕履歴を照合し、帳簿と現物の不一致を早めに洗い出します。

市場相当賃料は一点ではなくレンジで考える

関連当事者賃料の正常化では、近隣の募集賃料だけで結論を出しません。募集と成約の違い、築年、面積、用途、駅距離、駐車場、医療向け設備、契約期間、修繕負担、保証金などを調整します。必要に応じて不動産鑑定士や複数の不動産事業者から意見を得ます。

国土交通省の「不動産情報ライブラリ」では、不動産取引価格、地価公示、都道府県地価調査、周辺施設、防災、都市計画などを確認できます。これらは土地・不動産の前提を検討する有用な公的情報ですが、個別の医療施設の適正賃料を直接示すものではありません。物件固有の条件と契約内容を反映した評価が必要です。

賃料が高い場合の調整例

医療法人が理事長個人へ年間2,400万円の賃料を払い、同等条件の市場相当レンジが1,700万〜1,900万円、不動産鑑定・複数見積り等を踏まえ1,800万円を採用するとします。現行との差600万円は正常収益力への加算候補です。ただし、現行賃料に大規模修繕、設備保守、固定資産税相当、駐車場などが含まれ、市場比較側には含まれないなら同じ条件にそろえます。

承継後の長期賃貸契約を年間1,800万円で実際に締結できる見通しがあれば、調整の確度は高まります。売り手が「市場なら1,800万円」と主張しつつ、譲渡後は2,400万円の支払いを求めると整合しません。正常収益力に用いる条件と最終契約の条件を一致させることが重要です。

賃料が低い、または無償の場合の調整例

理事長所有物件を医療法人が年間600万円で利用し、市場相当が1,500万円なら、承継後も600万円で賃借できない限り、差900万円は減算候補です。過去の利益は、オーナーが低賃料で不動産を提供したことに支えられています。買い手が不動産も取得する場合は、賃料の代わりに減価償却、固定資産税、修繕、保険、借入利息、必要投資を考えます。

無償使用の場合も同様です。賃料ゼロを正常と置くのではなく、譲渡後の法的に安定した利用権と経済負担を反映します。口頭約束だけで運営してきた場合は、M&A前に契約条件を文書化し、買い手が診療継続できる期間を確保します。

売買と賃貸を総額で比較する

売り手にとって、不動産を保有し続けて賃料収入を得る案は魅力的な場合があります。買い手にとっては、長期の拠点確保と賃料の予見可能性が重要です。賃貸期間、更新権、賃料改定、修繕責任、建替え、売却時の承継、抵当権実行時のリスクを設計します。

不動産売却案では、売却代金だけでなく、担保借入の返済、譲渡税、消費税の取扱い、仲介費用、法人・個人間の資金移動を専門家と確認します。医療法人側の正常収益力表では、売買代金を利益調整に混ぜず、運営費用と資本取引を分けます。

修繕費と設備更新を見落とさない

賃料が相場より低くても、医療法人が屋根、外壁、空調、エレベーター、給排水など所有者側の大規模修繕を負担しているなら、実質負担は高いことがあります。過去10年程度の修繕履歴、今後の修繕計画、契約上の負担区分を確認し、年間平均コストまたは近い将来の一時支出として反映します。

医療設備と建物附属設備の所有区分も重要です。CT室の遮蔽、歯科の配管、手術室空調、非常電源、電子カルテ用サーバーなどが誰の資産か、譲渡対象に入るか、撤去・更新時に誰が負担するかを資産番号で対応付けます。賃料調整は不動産部門だけの話ではなく、設備投資計画とセットです。

不動産賃料調整の証拠パッケージ

  • 土地・建物・附属設備・駐車場の所有関係図と登記事項
  • 賃貸借契約、覚書、保証金・敷金、賃料改定履歴
  • 過去の支払実績、共益費、固定資産税、保険、修繕費
  • 図面、床面積、用途、築年、設備仕様、法令・許認可上の条件
  • 近隣比較、複数査定、必要に応じた不動産鑑定
  • 大規模修繕履歴、建物診断、今後10年の修繕・更新計画
  • 売却、長期賃貸、移転の各シナリオの費用と実行条件
  • 担保、保証、所有者借入、名義変更・承諾の条件
医療事業の価値と承継条件を確認する経営者とアドバイザー
譲渡前の資料確認を表したオリジナル生成イメージ。実在案件の当事者ではありません。画像内の人物・施設はイメージです。

一過性費用・一過性収益の見極め方

三つの質問で「本当に一過性か」を判定する

一過性項目は加算調整がしやすいため、売り手と買い手の議論が集中します。まず、次の三つを確認します。第一に、通常の診療・経営を続ける限り発生する費用か。第二に、同じ種類の費用が過去にも周期的に発生していないか。第三に、承継後3〜5年に再発する合理的可能性があるか、です。

たとえば、ウェブサイト全面改修が5年ごとに必要なら、直近年度の全額を足し戻すのではなく、5年間の平均費用を正常費用として残す考え方があります。職員採用紹介料が毎年別の職種で発生しているなら、個々の請求は単発でも採用費全体は反復費用です。医療機器の故障修理も、同じ機器では一度でも、設備群全体では毎年発生することがあります。

一過性費用の代表例と注意点

項目 加算候補になり得る場面 残す・減算する場面
M&A・事業承継準備費 今回の取引だけに係るFA、法務、DD準備費 通常の顧問料、継続的な経営改善費は残す
移転・大改装 完了済みで長期間再発せず、通常修繕と区分できる 定期修繕、近い将来の追加工事、休業影響は別途考慮
災害・事故復旧 異常事象による復旧費で保険金との対応を確認できる 防災対策不足による反復リスク、保険料上昇、未復旧は残す
訴訟・行政対応 解決済みの単発事案で将来負担がない 同種問題が継続、未解決、再発防止費が必要なら残す
役員退職金 退任に伴う一度限りの支出で条件が確定 将来の役員・職員退職給付、未積立債務は別途反映
臨時採用費 開設時の大量採用など明確な単発要因 慢性的離職を補う採用費、毎年の紹介料は正常費用
システム導入 導入作業費のうち再発しない部分 月額利用、保守、更新、セキュリティ対策は正常費用
感染症対応 特定期間の臨時資材・改修で今後不要 恒常的衛生対策、備蓄、感染管理人員は正常費用

補助金・保険金は対応費用とセットで扱う

補助金や保険金を一過性収益として減算する場合、対応する費用・損失も確認します。たとえば、設備取得補助金を減算しながら、補助対象設備の減価償却費をそのまま扱うと、会計処理との関係を誤る可能性があります。災害保険金を減算するなら、復旧費や資産損失との対応を見ます。

厚生労働省の医療法人会計基準運用指針は、固定資産取得に係る補助金と運営費補助金について会計処理を示し、重要な補助金について内訳、交付者、計算書類への影響額の注記を求めています。M&A分析でも、交付決定通知、補助対象、会計処理、返還条件、承継後の義務を一組で確認します。

「毎年発生する一過性費用」を正常化する

ある法人で、3年前に外壁修繕800万円、2年前に電子カルテ移行1,000万円、前年に採用紹介料600万円、当年に訴訟対応700万円が発生しているとします。一つずつ見れば別の単発費用ですが、毎年600万〜1,000万円の非定常支出が発生しています。すべてを足し戻すと、将来費用を過小評価します。

この場合、個別費用の再発可能性を検討したうえで、「将来の臨時支出予備費」として過去平均または設備・人員計画に基づく年額を残す方法があります。どの方法が適切かは事業内容によりますが、ゼロにするより実態的です。売り手から自主的に予備費を置くと、他の確度が高い加算調整も受け入れられやすくなります。

一過性項目の証拠パッケージ

  • 総勘定元帳と請求書、契約書、支払日、相手先
  • 発生原因、期間、完了日、今後の再発可能性を記した調整メモ
  • 過去5年の同種・類似費用一覧
  • 補助金交付決定・実績報告・返還条件と対象費用
  • 保険金請求・入金と対象損失・復旧費の対応
  • 未払金、引当金、偶発債務、訴訟・行政対応の残存リスク
  • 今後3〜5年の修繕、更新、採用、法令対応計画

四大項目以外に見落としやすい調整

家族給与・オーナー関連経費

家族給与、車両、保険、会費、出張、通信、社宅などは、名称で一律に除外せず、業務関連性と承継後の必要性を確認します。家族が受付責任者や経理担当として実際に働いているなら代替人件費が必要です。車両が訪問診療や送迎に使われるなら正常費用です。私的部分が明確なら加算候補ですが、税務上の取扱いも確認します。

国税庁は役員等への経済的利益について、資産の無償・低額譲渡、低額の用役提供、個人的費用の負担などの税務上の取扱いを説明しています。M&A調整は税務判断の代わりになりません。疑義がある取引は、正常化表に載せるだけでなく、過年度修正や開示の要否を税理士・弁護士と検討します。

保険と退職給付

理事長を被保険者とする生命保険は、保険料の会計処理、解約返戻金、受取人、譲渡時の解約・継続、税務を確認します。保険料を全額一過性として足し戻すと、簿外資産や将来受取との整合が崩れます。保険契約ごとに払込額、資産計上額、解約返戻金、契約者貸付、質権を一覧化します。

退職給付は、直近年度に支給した退職金だけでなく、既存職員の将来債務を見ます。就業規則、退職金規程、勤続年数、引当金、外部積立、過去支給実績を確認し、未積立があれば企業価値または取引条件に反映される可能性があります。院長退職金と譲渡対価を混同せず、それぞれの法的・税務的根拠を整えます。

減価償却費と設備投資

EBITDAでは減価償却費を足し戻しますが、医療機関は設備なしで診療できません。設備台帳を、継続使用、近く更新、不要、故障・修理中、リース、MS法人所有に分類します。取得年月、取得価額、帳簿価額、耐用年数、保守期限、稼働率、更新見積りを一覧化します。

過去5年の設備投資平均だけでは、導入周期を見誤ることがあります。CTを10年に一度更新する法人で直近5年に投資がなければ、平均はゼロでも将来負担は大きいからです。10年程度の実績と今後の更新計画から、維持更新投資の年平均とタイミングを示します。成長投資と維持投資を分けることも大切です。

リース・割賦・保守

リース料を営業費用として計上する場合と、資産・負債を計上する場合では、EBITDAの見え方が変わります。契約一覧を作り、対象資産、期間、月額、残額、所有権移転、再リース、解約、保守を確認します。会計区分だけで有利・不利が生じないよう、買い手と定義を合わせます。

保守費用は設備更新後に無料期間が終わって増える場合があります。現行保守料がゼロでも、承継後に年300万円必要なら減算候補です。逆に、廃棄予定設備の保守が残っているなら、終了可能性と解約費を確認します。

未払残業、賞与、社会保険、労務コスト

人件費の正常化では給与台帳だけでなく、労働時間、残業、休日、当直・宿日直、賞与、法定福利費、有給休暇、派遣・委託を確認します。未払残業や人員不足がある場合、過去利益は持続可能な勤務体制を前提としていない可能性があります。法令順守に必要な増員・シフト変更・賃金改定を正常費用に反映します。

買い手のデューデリジェンスで労務問題が見つかると、価格だけでなく、補償、エスクロー、クロージング条件、取引中止に影響することがあります。売り手は、勤怠と給与の不一致、固定残業、管理監督者、委託と雇用の実態などを事前に点検し、是正計画を用意します。

医療材料・医薬品在庫と仕入条件

直近年度の材料費率が低くても、期末在庫が過大、棚卸方法が不統一、期限切れ損失が未反映なら正常とは限りません。高額材料、薬剤、ワクチン、歯科材料などを品目別に確認し、廃棄、返品、預託、リベート、共同購入、MS法人経由取引を整理します。

譲渡直前の在庫積み増しや支払先送りで利益・運転資金が変わることがあるため、月次の仕入・在庫・買掛金を見ます。正常収益力と正常運転資金は別表で管理し、同じ効果を二重に価値へ反映しないようにします。

売掛金・レセプト・返戻査定

医業未収金は保険者、公費、患者、自費、健診など相手ごとに回収条件が異なります。返戻・査定、請求遅れ、未収患者負担、貸倒を確認し、売上計上と回収可能性を検証します。未請求分を売上加算する場合は、請求根拠と回収見込みを示します。

ある年度だけ返戻率が高い場合、システム移行など一過性要因なら調整余地があります。しかし、算定運用や施設基準管理に構造的な問題があるなら、是正後の売上・人員費を見積もります。過去の過誤請求リスクは正常収益力ではなく偶発債務として扱う場合もあります。

売上側の正常化も費用側と同じ精度で行う

院長休診・医師欠員

院長の病気や医師退職で診療日が減った年度は、正常売上への戻しを検討できます。診療日数、復帰後の患者数、代診医、前年同期、予約残、紹介状況を使い、失われた売上を推定します。同時に、売上増加に対応する材料費、人件費、外注検査費を控除します。

「前年売上との差」をそのまま加えるのは危険です。患者が他院へ移り戻らない、院長が今後も勤務日数を減らす、地域人口が変化する場合があります。直近月次で回復が確認できる部分、契約済みの医師によって回復する部分、希望にとどまる部分に分け、確度を付けます。

新設・移転後の立ち上がり

新規開設・移転後で患者数が増加中の場合、直近月の年換算を将来売上として示すことがあります。ただし、季節性、広告費、診療日数、医師キャパシティを調整します。成長計画は正常化ベースケースと分け、複数シナリオで示します。

移転による一時休業の売上減を戻す一方で、移転後の賃料増、減価償却、借入利息、人員増、広告費などを反映します。売上だけを正常化し、対応費用を無視しないことが原則です。

診療報酬改定・価格改定

診療報酬改定の影響は、全体の改定率を売上に掛けるだけでは分かりません。対象法人の診療科、算定項目、施設基準、患者構成に基づいて影響を試算します。直近レセプトデータを用いる場合は、個人情報を適切に保護し、集計・匿名化して共有します。

自由診療の価格改定は、改定後の件数・キャンセル・値引き・広告費を確認します。単価上昇分を年換算するなら、少なくとも数か月の実績と季節性を示します。将来予定だけの価格改定は、基本ケースではなく改善余地として扱う方が無難です。

補助金・臨時収益

補助金が終了するなら減算しますが、補助金に対応して増えた費用も確認します。新型感染症関連の補助金や特例が過年度損益に含まれる場合は、対象期間・対象費用・終了時期を明示します。厚生労働省の医療経済実態調査でも、補助金を含む・含まない損益が区別される資料があります。自法人の分析でも同様に、通常収益と政策的・臨時的収益を分けます。

正常収益力を作る実務手順

ステップ1:基礎資料を固定する

対象期間、会計基準、決算数値、月次数値を確定し、提出版に番号を付けます。元データを上書きせず、決算書、試算表、元帳、税務申告書の一致を確認します。差がある場合は、理由を調整表の前提に記載します。

ステップ2:オーナー・関連当事者取引を漏れなく抽出する

役員、社員、親族、MS法人、個人所有不動産、関連会社を関係者図にし、元帳の相手先と突合します。役員報酬、賃料、委託料だけでなく、貸付金、立替金、車両、保険、保証、資産売買、無償サービスを含めます。

ステップ3:非経常・異常値を月次で見つける

各科目の月次推移を並べ、平均から大きく外れる月を確認します。金額が大きい仕訳だけでなく、前年同月比、売上比率、患者一人当たり、職員一人当たりで異常値を探します。異常値には請求書・契約・発生原因を紐付けます。

ステップ4:承継後の運営仮定を文章で置く

院長が何年残るか、後任医師を何人配置するか、MS法人契約をどうするか、不動産を賃借するか買うか、設備をいつ更新するかを書きます。金額より先に運営仮定を合意しないと、同じ費用を見ても正常額が決まりません。

ステップ5:調整項目ごとに六点セットを作る

各項目について、元の勘定科目・金額、事実、承継後仮定、調整額、根拠資料、残るリスクを記載します。調整には番号を付け、元帳・請求書・契約書の資料番号と対応させます。買い手が再計算できる数式を残します。

ステップ6:ベース、上振れ、下振れを作る

一つの正常収益力に固執せず、主要仮定を変えた感応度を示します。院長採用コスト、患者維持率、賃料、材料費、設備更新、採用期間などを変えます。売り手希望は上振れ、買い手懸念は下振れ、証拠で最も支持されるものをベースとします。

ステップ7:キャッシュフローと貸借対照表へつなぐ

調整後利益から、税、維持投資、運転資金増減を考えます。借入金、リース債務、役員借入金、未払退職金、簿外債務、余剰現預金などを別途整理し、企業価値から最終的な経済条件へどうつながるかを明らかにします。

ステップ8:売り手説明書としてレビューする

経理担当だけでなく、院長、事務長、各部門責任者、税理士が確認します。数字は合っていても、診療実態と違うことがあるからです。買い手の視点で「本当に再発しないか」「誰が代替するか」「契約で実現できるか」を問い直します。

数値例で見る正常収益力の組み立て

ここでは、無床診療所を運営する医療法人Aを仮定します。実在の法人を示すものではありません。直近年度の医業収益は3億2,000万円、営業利益は1,600万円、減価償却費は1,000万円です。営業利益に減価償却費を加えた単純EBITDAは2,600万円となります。

項目 金額 調整方向 理由の要約
単純EBITDA 2,600万円 出発点 営業利益1,600万円+減価償却費1,000万円
院長報酬差額 +800万円 加算 現行総コスト3,600万円、承継後代替コスト2,800万円
後任採用の平準費 ▲200万円 減算 採用紹介料等を定着期間で年平均化
MS法人管理料差額 +300万円 加算 現行2,400万円、第三者代替2,100万円
関連当事者賃料 +400万円 加算 現行1,800万円、承継後長期契約1,400万円
電子カルテ移行費 +600万円 加算 当期だけの導入作業費。月額利用料は残す
毎年の臨時支出予備費 ▲300万円 減算 過去の修繕・採用・システム更新を平準化
終了補助金 ▲250万円 減算 当期収益に含むが次期以降は見込まない
一時休診の回復 +350万円 加算 復帰後月次実績に基づく限界利益相当額
設備保守増加 ▲200万円 減算 無償保守期間終了後の契約見積り
調整後EBITDA 4,100万円 結果 各調整を反映したベースケース

この例で重要なのは、加算合計だけを見るのではなく、減算も入れていることです。院長報酬800万円の加算に対して採用平準費200万円を控除し、一過性の電子カルテ導入費600万円を足し戻す一方で、毎年発生する臨時支出予備費300万円を残しています。補助金は終了するため減算し、休診回復は売上ではなく対応費用を控除した利益影響350万円を加えています。

さらに、調整後EBITDA4,100万円がそのまま自由に使える資金になるわけではありません。仮に維持更新投資の年平均が800万円、正常運転資金増加が100万円、税・利息等が別途必要なら、キャッシュフローは異なります。また、2年後に大型設備更新3,000万円が予定される場合、価格、借入、設備投資負担、譲渡前更新のどれで調整するかを交渉します。

上振れ・下振れの感応度

主要仮定 下振れ ベース 上振れ
後任院長総コスト 3,200万円 2,800万円 2,600万円
承継後賃料 1,700万円 1,400万円 1,300万円
休診前売上の回復率 50% 75% 90%
臨時支出予備費 500万円 300万円 200万円
調整後EBITDAの目安 3,300万円 4,100万円 4,550万円

感応度は「値段を高く見せる幅」ではなく、どの条件を契約で固めれば不確実性を減らせるかを示します。後任院長が契約済みになれば人件費の幅が狭まり、賃貸借契約を締結すれば賃料の幅が狭まります。正常収益力の準備は、数字を作るだけでなく、重要な不確実性を実行前に解消する活動です。

正常収益力と企業価値・譲渡条件の関係

利益に倍率を掛けるだけでは決まらない

実務で「調整後EBITDA×倍率」のような説明が使われることがありますが、倍率は固定ではありません。規模、成長性、診療科、地域、医師依存、患者集中、施設・設備、法令順守、人材、データ品質、取引競争性、金利・市場環境などで変わります。利益が同じでも、院長が退任すると患者が大きく減る法人と、複数医師で安定運営する法人ではリスクが違います。

また、企業価値から有利子負債等を控除し、余剰現預金等を加える考え方を使う場合、何を負債・余剰とするかを確認します。役員借入金、リース債務、未払退職金、保証、運転資金、出資持分など、医療法人固有の構造を踏まえます。取引手法によって売り手が受け取る経済価値や課税関係は変わるため、簡易計算だけで意思決定しないでください。

価格以外の条件へつなげる

正常収益力の不確実性は、価格だけで解決する必要はありません。旧院長の一定期間勤務、患者・紹介元の引き継ぎ、後任採用の協力、賃料の固定、設備更新の負担、MS法人契約の移行、表明保証、補償、クロージング後の価格調整など、条件設計で分担できます。

たとえば、院長退任後の患者維持が最大の論点なら、旧院長が1年残ることと段階的引き継ぎ計画を合意します。ただし、成果連動対価や報酬を設ける場合は、医療の質、患者選択、法令・倫理、税務、雇用、計算方法を慎重に検討します。診療件数だけを追う仕組みが不適切な診療誘因にならないようにします。

出資持分の有無と取引スキームを先に確認する

医療法人は株式会社と同じ株式譲渡を前提にできません。持分の定めのある社団、持分の定めのない社団、財団など法人類型があり、社員・理事・監事、定款、出資持分、基金、行政手続を確認します。事業譲渡、合併、社員・役員交代等のどの手法が可能・適切かは専門家と検討します。

医療法第54条は医療法人による剰余金配当を禁止しています。正常収益力が高いことは、株式会社の配当可能利益と同じ意味ではありません。法人の非営利性、医療提供継続、資産・持分・退職金等の法的整理を踏まえ、売り手が受け取る対価の根拠と手続を整えます。

買い手デューデリジェンスで問われること

「なぜその調整が将来も続くのか」

買い手は、調整額よりも再現性を見ます。院長報酬を減らせるなら誰が診療するのか、MS法人管理料を減らせるなら誰が業務をするのか、賃料を下げられるなら所有者が契約に同意するのか、一過性費用ならなぜ再発しないのかを質問します。回答は希望ではなく、契約、見積り、実績、計画で示します。

「反対方向の調整はすべて出ているか」

売り手が加算項目だけを提出すると、買い手は隠れた減算を疑います。低額院長報酬、無償不動産、設備更新、未払残業、終了補助金、値上げ予定、サイバーセキュリティ、採用難など、将来増える費用も自主的に示します。両方向の表があると、デューデリジェンス後の大幅な修正が減ります。

「元帳と資料が一致するか」

調整額の合計が決算書に一致しない、契約額と支払額が違う、元帳相手先が別名、税込・税抜が混在すると、分析全体の信頼を失います。調整番号、勘定科目、仕訳番号、資料番号を紐付け、再計算可能にします。丸い数字だけを置かず、端数を含む実績から算定し、説明資料で適切に丸めます。

「調整が重複していないか」

MS法人管理料に含まれる人件費を足し戻し、さらに同じ担当者の家族給与を足し戻すなど、二重調整に注意します。移転費を一過性として足し戻し、その移転休業売上も全額加算する場合、関連する固定費・変動費を整合させます。補助金と対象費用、保険金と復旧費も同様です。

「クロージングまでに数字が変わらないか」

M&A検討には数か月以上かかることがあります。直近年度の分析後も月次実績を更新し、患者数、医師退職、採用、賃料、設備故障など重要変化を報告します。初期資料が良くても、直近実績が下振れすれば正常収益力は見直されます。

売り手が避けるべき十の失敗

  1. 院長報酬を全額足し戻す。診療・管理機能の代替コストを必ず置きます。
  2. MS法人への支払いを全額不要費用とする。必要なサービスの市場相当コストを残します。
  3. 関連当事者賃料をゼロにする。承継後の不動産利用条件を反映します。
  4. すべての臨時費を一過性とする。毎年発生する非定常費用を平準化します。
  5. 売上だけ正常化する。対応する人件費・材料費・外注費を控除します。
  6. 減価償却費を足し戻して設備更新を無視する。維持投資を別途示します。
  7. 平均値を個別法人の適正額と断定する。公的統計は比較材料の一つとして使います。
  8. 税務上の損金とM&A上の正常費用を混同する。目的と判断基準を分けます。
  9. 資料を後付けで集める。主張の前に契約・請求・実績を揃えます。
  10. 高い一つの数字だけを提示する。ベースと感応度を示し、不確実性の解消策を提案します。

売却検討12か月前からの準備スケジュール

12〜9か月前:現状把握と資料整備

法人類型、出資持分、社員・役員、許認可、施設、不動産、MS法人、保証を図にします。3〜5期の決算・元帳・税務資料を揃え、月次決算の締めを早めます。設備台帳、契約一覧、職員一覧を更新し、関連当事者取引を抽出します。

この段階では利益を作る施策より、数字の信頼性を高めることを優先します。長年未整理の役員貸付・借入、契約名義、未登記資産、未払残業、期限切れ契約を専門家と点検し、是正に時間がかかるものを把握します。

9〜6か月前:正常化仮説と承継体制

院長の残留期間、後任要件、医師採用、MS法人、不動産、設備更新のシナリオを作ります。正常収益力の初版を作り、加算・減算両方をレビューします。後任候補の採用可能性、賃貸条件、第三者委託価格など外部証拠を集めます。

患者・職員へは原則として機密性を保つ必要があるため、情報管理計画を作ります。誰がプロジェクトを知るか、データルームを管理するか、匿名化するか、問い合わせにどう対応するかを決めます。

6〜3か月前:実績確認と論点解消

直近月次で正常化仮説を検証します。院長休診からの回復、価格改定、採用、材料費契約などを実績化します。主要な関連当事者契約や賃貸借条件について、承継後の案を文書化します。

設備更新、労務、個人情報、医療法・許認可など買い手が懸念する項目は、問題がないと断言するより、調査結果と是正状況を示します。未解決事項は、期限、責任者、費用見込みを記載します。

3か月前〜交渉開始:説明資料とデータルーム

正常収益力ブリッジ、感応度、運営仮定、根拠資料索引を完成させます。初期開示用は集計・匿名化し、買い手候補の進捗に応じて詳細を段階的に開示します。NDA、アクセス権、ダウンロード制御、閲覧ログ、返却・削除を整えます。

説明会では、調整額を大きい順に話し、事業承継後の運営と結び付けます。主張が弱い項目を無理に押し込まず、確度の区分を示します。買い手からの反論は調整メモに記録し、同じ質問に一貫した回答をします。

医療事業承継で守る診療・雇用・制度・地域連携の連続性
医療事業承継で守る四つの連続性を表したオリジナル生成イメージ。画像内の人物・施設はイメージです。

正常収益力調整表の推奨フォーマット

列 記載内容
調整番号 AE-01、AE-02など一意の番号
年度・月 対象期間。複数年度の場合は年別に分ける
勘定科目・仕訳 決算書、元帳の出発点を特定
報告値 調整前の会計数値
調整額 加算はプラス、減算はマイナス等ルールを統一
正常値 報告値と調整後の金額
事実 何がいつ、なぜ起きたか
承継後仮定 誰が何を、どの条件で行うか
算定式 数量×単価、月額×12など再計算可能にする
根拠資料 契約、請求書、統計、見積り、実績の資料番号
確度 契約済み、実績確認、見積り、経営計画などに区分
税務・法務論点 専門家による確認が必要な事項
重複チェック 他の調整や価格項目との二重計上有無
買い手コメント 合意、保留、否認と理由

フォーマットを統一すると、買い手候補が複数でも説明がぶれません。ただし、各候補へ同じ個人情報を無条件に開示することを意味しません。初期段階の匿名化、閲覧権限、情報の必要性を案件ごとに判断します。

医療法人M&Aの正常収益力に関するFAQ

Q1.正常収益力は何年分で計算すればよいですか

一律の年数はありませんが、直近3期を基本に、設備更新やコロナ禍、移転、院長交代などの影響を見るため5期程度まで遡ることがよくあります。年次だけでなく直近月次を必ず更新し、現在の稼働を確認してください。

Q2.一番利益が高かった年度を基準にできますか

その年度が通常運営を表し、現在も再現できる証拠があれば参照できます。しかし、臨時補助金、異常な診療日数、院長の過重労働、設備更新先送りで利益が高かったなら、そのまま基準にはできません。年度選択ではなく各要因を分解します。

Q3.院長報酬はどこまで足し戻せますか

現行の総報酬と、承継後に同じ診療・管理機能を維持する総コストとの差が候補です。院長が担う仕事を分解し、後任医師、非常勤医、事務長、採用費、社会保険などを含めて算定します。全額足し戻しは通常、合理性を欠きます。

Q4.院長が譲渡後も残る場合、どの報酬を使いますか

実際に合意する勤務日数、職務、期間、給与・賞与・福利厚生等を使います。残留期間終了後の後任コストも別に示し、移行年度と安定年度を分けます。雇用・委任関係と税務は専門家と確認します。

Q5.厚生労働省の平均院長給与をそのまま使えますか

参考にはなりますが、個別法人の適正額を直接示しません。診療科、地域、勤務日数、診療実績、管理責任、規模が異なるため、公的統計に実際の採用条件や見積りを重ねてください。平均と中央値の両方を見ることも有用です。

Q6.親族役員の報酬は全額足し戻せますか

実際に業務をしていない部分は調整候補になり得ますが、業務を担っているなら代替コストを残します。仕事内容、勤務時間、権限、成果物、承継後の組織を確認します。税務・法務上の適否は別途判断が必要です。

Q7.MS法人への管理料はすべて削減できますか

できません。経理、採用、IT、購買など必要な機能にはコストがかかります。現行支払額と、MS法人原価、第三者委託、内製の代替コストを比較し、差額だけを検討します。買い手本部による削減は買い手固有の相乗効果の場合があります。

Q8.MS法人も一緒に譲渡した方がよいですか

資産、職員、契約、資金、税務、売り手の希望により異なります。医療法人の継続に不可欠な機能を持つなら、MS法人を含める案、資産・契約を移す案、長期契約案を比較します。単独承継で診療が止まらないことが最優先です。

Q9.理事長個人所有の建物賃料はゼロにできますか

承継後も無償で安定利用できる法的条件がない限り、通常はできません。賃貸を続けるなら合意賃料、買い取るなら所有コスト、移転するなら移転費と休業影響を反映します。

Q10.適正賃料はどう調べますか

契約条件と物件仕様をそろえ、近隣比較、複数事業者の査定、必要に応じ不動産鑑定を用います。国土交通省の不動産情報ライブラリは土地価格、取引、周辺環境を確認する参考になりますが、個別賃料の結論には物件固有の分析が必要です。

Q11.M&Aアドバイザー費用は足し戻せますか

今回の取引だけに直接発生し、承継後に継続しない費用なら一過性調整候補です。ただし成功報酬など未計上費用、税務上の取扱い、誰が負担するかを確認します。通常の顧問費や経営支援費と区分してください。

Q12.設備購入費をすべて一過性にできますか

会計上は資産計上・減価償却される場合があり、単純な費用足し戻しでは扱えません。設備は将来も更新が必要です。EBITDAと維持更新投資を分け、設備台帳と更新計画で判断します。

Q13.補助金は必ず除外しますか

将来継続しない補助金は除外候補ですが、対応する費用・投資・返還条件を確認します。恒常的制度で一定の受給が見込める場合も、制度変更リスクを踏まえます。収益だけを機械的に減算しません。

Q14.院長休診による売上減は戻せますか

復帰後実績、代診体制、患者回復が確認できる範囲で検討できます。売上総額ではなく、追加材料費・人件費等を控除した利益影響を計算します。患者が戻らない可能性を感応度で示します。

Q15.正常収益力が高ければ高い価格で売れますか

価格に影響する重要要素ですが、保証されません。法人類型、純資産、負債、医師依存、成長性、法令順守、設備、人材、取引競争性、スキームなど多くの要素があります。調整額の信頼性と承継可能性が重要です。

Q16.税務上損金になった費用は正常費用ですか

必ずしも同じではありません。税務上の損金算入要件と、承継後に必要な経済的費用かというM&A上の判断は目的が違います。両者を分け、必要に応じ税理士に確認します。

Q17.正常化調整の資料はいつ買い手に渡しますか

初期段階は集計・匿名化資料を用い、NDA締結、相手の検討確度、必要性に応じて詳細を段階開示します。患者・職員の個人情報や営業秘密を無制限に共有しないでください。

Q18.患者別レセプトをそのままデータルームに入れてよいですか

安易に入れるべきではありません。目的に必要な集計で代替できないか検討し、個人情報保護法、医療・介護分野ガイダンス、安全管理措置、契約を確認します。氏名を消しただけでも他情報と照合して本人識別できる場合は個人情報に該当し得ます。

Q19.買い手が調整を認めない場合はどうしますか

事実、承継後仮定、算定式、証拠のどこに争いがあるかを分けます。契約で条件を確定する、第三者見積りを取る、旧院長が残る、価格の一部を条件連動にするなど解決策を検討します。根拠が弱い調整に固執しないことも重要です。

Q20.いつから準備すべきですか

可能なら譲渡検討の1年以上前から始めます。月次決算、関連当事者契約、院長後継、設備更新、労務是正は短期間で整いません。急ぐ場合でも、加算だけでなく減算と未解決リスクを同時に整理します。

売り手向け最終チェックリスト

  • 3〜5期の決算書、申告書、元帳、月次試算表が一致している
  • 施設別・事業別の売上、直接費、本部費配賦が説明できる
  • 院長の診療・管理業務と承継後の代替コストを分解した
  • 役員報酬の決議、給与台帳、福利厚生等を揃えた
  • MS法人・親族・個人を含む関係者図と全取引一覧がある
  • MS法人サービスの原価、第三者代替、契約終了費を比較した
  • 不動産の所有、賃貸条件、修繕、担保、承継後条件を整理した
  • 一過性費用・収益を対応関係と再発可能性で判定した
  • 設備台帳と10年程度の更新履歴・将来計画を作った
  • 加算だけでなく、将来必要な減算調整を反映した
  • 正常収益力、維持投資、運転資金、負債を区別した
  • 各調整に元帳・契約・請求・見積りの資料番号を付けた
  • ベース・上振れ・下振れの感応度を示した
  • 患者・職員情報の匿名化、権限、NDA、削除手順を決めた
  • 税務・医療法・労務・許認可・個人情報を専門家が確認した

調整の確度を高めるデータルーム設計

フォルダは買い手の検証順に並べる

資料が多くても、どの調整を裏付けるか分からなければ検証に時間がかかります。データルームは、法人・許認可、財務・税務、月次KPI、人事・労務、院長・医師、不動産、MS法人・関連当事者、設備・IT、契約、法務・紛争、個人情報といった階層に分け、各ファイルに日付・対象年度・資料名・版を付けます。正常収益力調整表の資料番号から該当ファイルへ到達できる索引を用意します。

同じ契約書の旧版と現行版が混在すると、買い手はどの条件が有効か判断できません。原本、変更覚書、更新通知を一組にし、現行版を明示します。元帳や給与台帳は提出日時点の抽出条件を記録し、後から数値が更新された場合は旧版を消さず差分を説明します。資料の完全性そのものが、正常収益力の信頼性を左右します。

個人情報は「必要最小限」と段階開示を徹底する

患者別データがなくても、月別・診療科別・医師別の集計で多くの収益分析は可能です。初期検討では、氏名、住所、生年月日、保険者番号、詳細な病名等を外し、再識別リスクを確認した集計資料を使います。職員情報も、個人名を付けず職種、勤続、年齢帯、雇用形態、給与帯で示せる場面があります。

買い手候補が限定され、詳細確認が真に必要になった段階でも、閲覧者、利用目的、保存期間、再提供、複製、事故時対応、交渉不成立時の返却・消去を契約と運用で定めます。氏名だけを削除しても、希少疾患、診療日、地域、年齢などとの組合せで本人を識別できる可能性があります。匿名化の有無を自己判断せず、個人情報保護委員会のガイドラインと専門家の助言を踏まえます。

質問回答表を正常収益力表と連動させる

買い手からの質問は、質問番号、受付日、担当者、回答、根拠資料、未解決事項、回答日を一覧にします。正常収益力の調整番号を付ければ、ある質問への回答が別の調整と矛盾していないか確認できます。口頭説明だけで終わらせず、重要回答は書面に残します。

回答を急ぐために推測で埋めると、後の訂正が信頼を損ないます。分からない場合は「未確認」と明示し、確認方法と回答予定日を伝えます。院長しか知らない情報を一人に集中させず、経理、事務長、各部門責任者が確認できる体制を作ります。

診療形態によって変わる正常化の重点

無床診療所

無床診療所は院長個人への収益依存が高くなりやすいため、医師別診療実績、紹介関係、患者継続率、診療日数、後任採用が中心論点になります。院長報酬を減らす調整より、院長退任後に同じ患者数と診療単価を維持できるかの検証が先です。受付・看護師など職員が患者関係を支え、法人ブランドで受診されている場合は、その組織的要素を具体的に示します。

有床診療所・病院

病床を持つ施設では、病床機能、稼働率、看護配置、当直、給食、医療安全、施設基準、委託、夜勤、人材確保の影響が大きくなります。院長一人の代替だけでなく、診療科別医師体制、病棟別人員、救急・手術・検査の運営を正常化します。閉鎖病床を再稼働する計画は、必要人員、届出・施設基準、採用期間、患者需要を満たすまで基本ケースから分けます。

歯科診療所

歯科では、歯科医師・歯科衛生士の稼働、ユニット数、自費診療比率、技工料、材料費、定期管理患者、院長の技術・指名依存を確認します。自費診療の単価と粗利は治療種別で異なるため、売上全体の平均ではなく区分します。院長が高度な処置を一手に担う場合、同じ売上を維持する後任の採用コストと移行期間を慎重に見積もります。

訪問診療・在宅医療

訪問診療では、患者数だけでなく、施設・居宅構成、訪問ルート、医師・看護師・ドライバー体制、夜間対応、連携先、車両、移動時間を見ます。院長のオンコールを低い報酬で賄っていると、承継後コストが増える可能性があります。紹介元や施設との契約・関係が個人に依存していないかも正常収益力の持続性に影響します。

自由診療を含む医療機関

自由診療では、広告媒体、紹介、リピート、解約・返金、前受金、医師指名、材料原価、キャンペーン値引き、貸倒・決済手数料を確認します。広告費を削減した後の売上を過去と同じに置くことはできません。顧客獲得費と継続率を月別に追い、広告停止後も続く既存患者売上と、新規獲得に必要な費用を分けます。

専門家ごとの役割を明確にする

M&Aアドバイザー・FA

全体工程、候補探索、資料作成、条件交渉を支援します。正常収益力については調整項目を整理し、買い手との論点を管理します。ただし、法的意見、税務申告、監査・保証を当然に代替するものではありません。契約時に業務範囲、手数料、相手方からの報酬、直接交渉、秘密保持、解除を確認します。

公認会計士・税理士

決算・元帳の整合、調整計算、税務、資産・負債、取引スキームを検討します。正常収益力の計算と、財務デューデリジェンス、価値評価、税務助言は業務目的が異なるため、成果物が何を保証するか確認します。過年度処理に問題が見つかった場合は、正常化表だけで済ませず是正・開示を検討します。

弁護士

医療法人のガバナンス、契約、労務、個人情報、紛争、最終契約を確認します。院長残留、賃貸借、MS法人移行など正常収益力の仮定を法的に実現できる条件へ落とします。調整が認められたとしても、契約上の義務や表明保証が過度になっていないかを確認します。

社会保険労務士・採用専門家

勤務体制、労働時間、給与、就業規則、社会保険、人員計画を検討します。後任院長や看護職員の代替コストは、求人年収だけでなく、採用期間、紹介料、定着、シフト、法定福利費を含めます。労務是正による将来コストは正常収益力へ反映します。

不動産鑑定士・設備専門家

関連当事者賃料、物件価値、修繕、設備状態、更新費を検討します。募集事例だけでは比較しにくい医療特有設備や長期契約条件を評価します。設備更新の緊急度は会計帳簿だけでは分からないため、保守記録と現物確認が役立ちます。

専門家を増やすほどよいわけではありません。正常収益力表の論点ごとに責任者を決め、同じ資料を基に判断し、結論の不一致を早めに調整します。売り手の最終意思決定は、価格だけでなく、患者、職員、地域医療、個人保証、引退後の役割を含めて行います。

公的資料から確認できる実務の土台

正常収益力は法令上定義された一つの会計指標ではありません。そのため、売り手は独自の数字を断定するのではなく、公的資料が示す会計・開示・M&A・税務・個人情報のルールを土台に、案件固有の仮定を明示する必要があります。以下は本稿の作成時に参照した日本の政府機関・公的機関の一次資料です。制度や資料は改訂されるため、実行時点の最新版を確認してください。

  • 中小企業庁「中小M&Aガイドライン」:中小M&Aの進め方、企業価値評価、専門業者、契約、トラブル対応の基礎。
  • 中小企業庁「事業承継」:中小PMIガイドライン、M&Aハンドブック、支援策等。
  • 厚生労働省「医療法人会計基準適用上の留意事項…に関する運用指針」:会計方針、減価償却、リース、引当金、補助金、関係事業者等。
  • 厚生労働省「医療法人の計算に関する事項について」:関係事業者との取引に関する報告内容等。
  • 厚生労働省「医療法人に関する情報の調査及び分析等について」:事業報告書等と経営情報等の報告制度。
  • 厚生労働省・中央社会保険医療協議会「調査実施小委員会」:医療経済実態調査の報告・資料。
  • 厚生労働省「第25回医療経済実態調査の概要」:医療機関の損益、職種別給与の平均・中央値等。
  • 国税庁「役員に対する給与(平成29年4月1日以後支給決議分)」:定期同額給与、事前確定届出給与等。
  • 国税庁「役員等に対する経済的利益」:役員への経済的利益の法人税上の取扱い。
  • e-Gov法令検索「医療法」:医療法人制度、剰余金配当禁止等の現行法令。
  • 国土交通省「不動産情報ライブラリ」:取引価格、地価公示、周辺施設、防災、都市計画等。
  • 個人情報保護委員会「個人情報保護法ガイドライン(通則編)」:事業承継交渉時の個人データ、安全管理措置等。
  • 個人情報保護委員会・厚生労働省「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイダンス」:医療・介護情報の取扱い。

まとめ:正常収益力は「数字の主張」ではなく「承継の設計図」

医療法人M&Aの正常収益力調整で最も重要なのは、過去の利益を大きく見せることではありません。院長が退任しても診療を続けられるか、MS法人の機能を誰が担うか、不動産を安定して使えるか、臨時費用の再発をどう見込むか、設備を更新しながら医療の質を保てるかを、数字と証拠で示すことです。

院長報酬は仕事を分解し、承継後の総人件費と比較します。MS法人との取引は必要機能と市場相当コストを見極めます。不動産賃料は、売買・賃貸・移転の実際の条件に合わせます。一過性費用は再発可能性と対応収益を確認し、毎年発生する非定常支出をゼロにしません。そして、加算と減算の両方を同じ基準で扱います。

こうして作った正常収益力表は、企業価値評価だけでなく、院長の引き継ぎ、職員の雇用、賃貸借、設備投資、MS法人移行、情報開示の計画をまとめる設計図になります。根拠資料が揃い、買い手が再計算でき、直近月次で更新されているほど、デューデリジェンス後の認識差を減らせます。

医療事業の承継後の引き継ぎを話し合うチーム
承継後の引き継ぎを表したオリジナル生成イメージ。実在案件の当事者ではありません。画像内の人物・施設はイメージです。

医療法人の売却準備を、数字の棚卸しから始めませんか

「役員報酬をどこまで調整できるか分からない」「MS法人と不動産をどこまで対象に含めるべきか迷う」「設備更新を踏まえると実際の収益力が見えない」という段階でも、準備は始められます。決算書だけで結論を出さず、診療体制、関連当事者取引、不動産、設備、承継後の役割を一緒に整理することが第一歩です。

医療M&A総合センターでは、医療法人の売却・承継を検討する方からのご相談を受け付けています。法人名を広く開示する前の初期整理、正常収益力の論点確認、必要資料の洗い出し、承継方法の比較など、現在地に合わせてご相談ください。個別の法務・税務・会計・労務・許認可については、必要に応じて各専門家と連携して確認します。

まずは秘密厳守で、医療法人の売却準備についてお問い合わせください。

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執筆・編集

医療M&A総合センター編集部

運営:株式会社M&A Do

医療・介護・ヘルスケア領域のM&Aと事業承継について、公開情報および官公庁資料を基に編集しています。個別案件の法務・税務・制度上の判断は、必要に応じて専門家へ確認してください。

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公開日:2026年8月13日

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  • 診療報酬債権【2026年版】 – 返戻・査定・再請求・過誤を医療M&Aのクロージングで精算する実務|医療M&A総合センター より:
    2026年8月23日 5:15 PM

    […] 既存の医療法人M&Aの正常収益力調整ガイドは院長報酬、MS法人、不動産賃料等を含む利益調整を扱います。診療報酬債権では、利益へ影響する査定・返還と、貸借対照表・キャッシュフローへ影響する回収時期を分け、同じ金額をEBITDA調整と運転資本調整へ二重計上しないよう照合します。 […]

  • 医師労務DD【2026年版】 – 宿日直許可・副業通算・時間外労働を医療M&A前に再計算する|医療M&A総合センター より:
    2026年8月23日 5:16 PM

    […] 既存の医療法人M&Aの正常収益力調整で扱う院長報酬等とつなぎ、同じ時間を院長報酬正常化と勤務医追加費へ重複させないようにします。院長引退が予定される場合は院長・理事長の引退と引き継ぎ期間も参照し、診療、当直、管理、紹介関係を役割別に代替します。 […]

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